外国人は肩こりにならないって本当!?

「外国人は肩こりにならない」

 

肩こりの解消法を調べていたりすると一度は見たことがあるかもしれません。
驚いたことに、ここでいう外国人とはアメリカやヨーロッパだけではなく、中国人やフィリピン人といったアジアの人々も含んでいるのです。
つまり「肩こり」「首こり」に悩んでその解消法を探しているのは日本人だけ、ということになってしまいます。

 

本当に外国人は肩こりにならないのでしょうか?
肩こりや首こりって日本人特有の病気なのでしょうか?

 

実は本当に外国人は肩こりにならないのです。
そもそも外国人に「肩こり」といっても通じないのです。
そんな単語がありませんし、何とか頑張って翻訳しても通じないのです。

 

といっても、正しくは「肩こり」を知らないだけ、というのがより真実に近いです。
「肩こり」という概念がないので、肩が凝っているという事実に気づいていないのです。
面白いことに外国人に「肩こり」を教えると、途端に肩が凝ったと感じだすそうです。
外国人だからと言って肩が凝らないのではなく、肩が凝っていることを知らないということですね。

 

つまり、肩こりは精神的な部分も関係している可能性があるということですね。
日本に長く住んでいる外国人が、日本に長くいすぎたと感じるときは「肩こり」を感じたときという話もあったりします。

 

どうして日本にだけ肩こりがあるの?

では、なぜ日本にだけ「肩こり」という概念があるのでしょうか?
諸説はありますが、一説には夏目漱石が日本に肩こりを広めたのではないかと言われています。

 

夏目漱石の「門」には以下のような一文があります。

「もう少し後の方」と御米が訴えるように云った。
宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、二度も三度もそこここと位置を易えなければならなかった。
指で圧してみると、頸と肩の継目の少し背中へ寄った局部が、石のように凝っていた
御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ。

引用:夏目漱石 「門」

 

これが日本で初めて「肩こり」に言及した文書だと言われています。
文章を読めばわかりますが、見事なまでにがちがちの肩こりですね。
きっと私たちと同じように腕を動かすたびにごきゅごきゅと音がなっていたんでしょうね笑

 

ともあれ、この一文によって日本中に「肩こり」が広まったというわけです。
では、夏目漱石が「門」を書かなければ日本に肩こりはなかったかというと、そういうわけではないでしょう。
「門」の文章の様に、「肩こり」という言葉が無くても肩が石のように凝っている人はいたわけです。

 

昔は情報伝達の手段が乏しかったので個人の問題で終わったのでしょうが、現代だとそうはいきません。
SNSなどでつぶやくと爆発的に情報が拡散する現代では遅かれ早かれ「肩こり」が広まってしまったのではないかと思います。
(もしかしたら「肩こり」「首こり」という呼び名ではなかった可能性はありますが)

 

むしろ夏目漱石が広めてくれたおかげで現代では肩こりの解消法などが研究され、いろいろな解消法があることを喜ぶべきかもしれませんね。